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清洲甲冑工房は桶川胴甲冑を製作

シリーズ甲冑武具豆知識TIPS

 シリーズ甲冑武具豆知識のページは随時更新しています。

1・大鎧について

1・大鎧について

1・大鎧について


  甲冑(鎧、兜)と言っても源平の頃と戦国時代では形も違うし機能も違っています。「矛盾」の語源のように戦い方や攻撃武器に対応するため改良が加えられてきました。

 源平の頃は一対一で馬に乗り弓矢で戦います。
西洋では楯を手に持って戦いますが日本では楯を人の四方にぶら下げた形で両手が使えるようにしています。
イメージとしては跳箱を馬に載せその中に人間が入っているような形です。

 また、袖は大袖といって上部中央の一点で肩からぶら下げているので、攻撃や防御時の腕の動きによってどちらへも向くようになっています。

 形状や装飾等は戦を重ねる毎に改良されてきましたが、韋を膠や漆で塗り固めているので重量が40~50Kgにもなり馬から降りたら亀の子同然で動きがとれません。

 それで次代の形になっていくのです。

2・胴丸・腹巻について

2・胴丸・腹巻について

2・胴丸・腹巻について


 対集団戦の元寇を経験し山城や市街地での戦いに対応するため、重くてだぶだぶの「大鎧」より軽く徒立ち戦に向く鎧として家之子郎党が着用していた胴だけの鎧「胴丸や腹巻」に兜や袖を付け、上級武将でも着用できるように高級化していった。
 胴丸は右引合せ形式で、腹巻は背中で合わせる形式である。本小札を大鎧の約3㎝幅のものから半分位の幅に狭くして身体に密着するようにした。製作の手間を省くために伊予札も使われるようになったがそれでもかなり手間がかかった。
  応仁の乱以降戦国時代に入ると鎧兜の需要は増え、大量生産の要求が一層増してきた。ここで大きな転換がなされ、次代の甲冑「当世具足」の登場となる。

3・当世具足について

3・当世具足について

3・当世具足について


 戦国時代に入り集団密集戦になったことにより上下階級による甲冑(鎧兜)の差は無くなった。
需要の増加とともに「早く大量に製作しろ」という要求が強くなり、それに答えるため本小札や伊予札でなく板札で簡便に作る工夫がなされた。またその他にも攻撃武器や戦い方に対応するための様々な工夫がなされ、その当時のモダンを意味する「当世」の語を冠し「当世具足」と呼び、従来の鎧兜と区別している。
 主な特徴は
1) 製作当初より小具足(袖、籠手、佩楯、脛当等)を冑や胴甲と一緒に作り、専用一具とした。
2) どこから槍や鉄砲玉がくるか判らないので立挙板・長側板を胴丸よりも各一段増やし出来るだけ隙間をなくすようにした。
3) 自己顕示のため背旗の取付装置を付けた。背旗は個人専用のもので、軍隊の合印は袖や兜の𩊱(しころ)に取付けた。
4) 腰の屈伸をしやすくするため「揺るぎの糸」を長くした。
5) 胴甲の発手板(最下段の板札)の形状を変え、重量を肩でなく腰で支える形式にした。
 なお、本小札等を用い当世具足の特徴を具備したものは「丸胴」と言い、旧来の「胴丸」とは区別している。

4・威糸と札板について

4・威糸と札板について

4・威糸と札板について


甲冑に使う平紐を「威(おどし)糸(いと)」と言い、少し伸びるような編み方がしてある。糸幅は一寸(約30mm)の間に何本通すかで糸幅や札板の穴間隔を決める。
 札板には本小札・伊予札・板札とあり、材質は革製と鉄製がある。革製のものは膠(にかわ)を含浸させ叩き鍛えて作り、「練(ねり)革(かわ)」と言う。鉄製のものは日本刀のように軟鉄と鋼とを合わせ鍛造で作ったので、密度高く重いものだった。江戸中期以降戦が無くなってからは普通の鉄板も使われた。源平の頃の本小札は練革製だったが、戦が峻烈になるにつれ鉄製のものを使い、重量軽減のため革製と鉄製を混ぜて胴甲を製作した。
 本小札は2列または3列(革製の場合)の孔を有し、1/2あるいは2/3ずつ重ね下の4孔で横方向を緊結する(縫(ぬい)重(かさ)ねという)。上の2および3孔で上下を連結する。伊予札は本小札での手間を省くために横方向の重ねは端の少しを重ねるだけのもので縫(ぬい)延(のべ)という。

5・威し

5・威し

5・威し


威糸を孔に通していくことを「威し」と言い、上下の札板を繋ぐ部分を「毛立て」、札板を横方向で留める部分を「縅(からみ)」という。
 なお、本小札や伊予札の横方向を繋ぎ一連の板状にする時は韋紐で繋ぎ、「下縅」という。
その際、鉄製や革製の「敷(しき)」という帯板を入れ補強する。
Ⅰ・毛立(けだて) :
    上下の札板(さねいた)をつなぐ部分
 1・毛引威(けびきおどし) :
    地板が隠れるよう隙間無く威す方法
 2・素懸威(すがけおどし) :
    威絲の間隔を空けて威す方法

Ⅱ・縅(からみ) : 札板を留める部分
 1・縄目縅(なわめからみ) :
   縄目文様をつけた縅で、毛引威には必ず使う
 2・菱綴(ひしとじ)
    ①花縅(はなからみ)・菱綴(ひしとじ):
      部位によって呼び方が違うだけで、
      表はたすきがけで裏は横一線にした
      実用的な威し方
    ②菱縫(ひしぬい) :
      表裏ともたすきがけにする
       威糸の使用量が花縅の約1.4倍

6・形状による甲冑の強化策

6・形状による甲冑の強化策

6・形状による甲冑の強化策


金属は叩くことにより硬くなりますが、湾曲させたり、L型に曲げたりすると強度が上がります。スチール棚のL型鋼とかビルや橋梁のH型鋼はこの例です。また、球形にすると全体の強度が上がります。例えば生卵の薄い殻も球状のため握りつぶそうとするとかなり強い力が必要です。
 甲冑でも筋冑のように鉢金の端を90度曲げ、筋を付けたり、眉庇をうねらせることによって、あるいは籠手・脛当の篠も平らでなく断面を半丸にして強度を出しています。このような例は甲冑部品の中で多く見られます。また、板札を繋ぎ合わした胴甲も洋樽のように丸みを付けて全体として強度を出しています。
 無垢では重くなるため同じ強度を得るために形状を変え、軽くて強度が出る工夫をしていました。昔の人は理論を知らなくても経験で強度を出すことを知っていたのです。

7・戦うための工夫 №1

7・戦うための工夫 №1

8 戦うための工夫 No.1


 甲冑は武具であり、前述したように戦い方や攻撃武器によって変わってきました。
 頭部を守る現代のヘルメットにも緩衝帯が取付けられていますが、この工夫・装置は昔からありました。
 兜には頭部への打撃を和らげるために鉢と頭部の間に空間をつくる「浮張り」というものが張られています。戦いが激しくなると源平の頃の弓矢だけで勝敗を付けるのでなく、「鬼に金棒」と言うように金棒で殴られる事態も出てきて緩衝装置の必要性から取り付けられたものです。
 「浮張り」は革を球状にしたものや数枚の布地を重ね渦巻き状に縫い(百(もも)重(え)刺しと言う)絞って球形にしたものが使われています。

8・戦うための工夫 №2

8・戦うための工夫 №1

8 戦うための工夫 No.2


 草摺について
 甲冑には腰部分を防御するために胴甲には草摺(下(げ)散(さん)ともいう)がぶら下がっています。
4、5段で出来ており、下に行くにつれて大きくしてあります。騎射戦専用の大鎧では平板状の4間で作られていましたが、胴丸などは徒(かち)立(だ)ち戦で足さばきが良いように間数を増やしています。
また、各段の板が平板状では重なって足さばきが悪いため、平板状の両端を内に曲げて重ならないようにしました。撓(ため)を作ると言います。
 

9・戦うための工夫 №3

9・戦うための工夫 №3

9 戦うための工夫 No.3


 甲冑は軽いもので12,3Kgと重く、その重さが肩にかかると腕が動かなくなる。それで、肩部分を少し浮かして重量を腰で担う着用法をとり、着物を腰で着るのと同じにしている。
 そのために胴甲の最下段の板(発手板)の下縁を外に少し反らせ、更に当世具足では胴甲の左右に腰骨に沿った切込みを設け腰へのあたりを穏やかにしている。
 また、着用時に胴甲が踊らないように背骨に沿ってヘコミ(背撓(ため)という)も設けられている。

10・戦うための工夫 №4

戦うための工夫 №4

10戦うための工夫 No.4


 胴甲と草摺(下散)とを繋ぐ「揺るぎの糸」の長さが当世具足では胴丸や腹巻に比べ長くなっている。
 (胴丸の揺るぎの糸は写真参照)
これは腰の屈伸を容易にするためであると同時に草摺の第1段から防御効果を発揮させるための工夫でもある。

11・戦うための工夫 №5

戦うための工夫 №5

10戦うための工夫 No.5


 鎧には「胸取り」とか「腰取り」と言って胴甲の上部や下部を威糸で繋いでいるものがあります。
 これは単なる飾りではなく、鋲留めよりも可動性を持たせることによって、身体に密着させ着用時の負担を軽減するための工夫です。

12・戦うための工夫 №6

戦うための工夫 №6

戦うための工夫(その6)―自己PR―


 戦国時代は敵味方が入り乱れて戦う集団密集戦であり、甲冑の威糸も使用量が少ないため色目による識別は期待できませんでした。自己PRしないと後で恩賞を貰えずただ働きになってしまいます。軍(いくさ)奉行は山などの高いところから誰がどこで働いているかをチェックしていますのでその目に留まるように個人専用の指(さし)物(もの)を付けて戦います。そのため当世具足には指物を装着する装置(合(がつ)当里(たり)、待受(まちうけ))が必ず付いています。なお、戦国時代には待受部で指物の棹を革紐で縛り、受(うけ)筒(づつ)もなかったです。
 また兜の立物(たてもの)(前立等)でも識別されていました。立物は差し込み式になっており、引っかかると差し込み部が直ぐ壊れるようになっています。壊れないと忍(しの)びの緒(顎(あご)紐(ひも))で頑時絡みに縛ってあるので自分の首が危なくなるからです。時代が少し下がると色々な造形を施した「変わり兜」が登場し識別に有利になるようにします。これら造形は頑丈な鉢の上に紙や皮による張子で作り、打撃されると壊れるようになっているのは立物と同じです。なお、戦のない平和な時代になると、甲冑売込みのため鉄で打出した造形の変わり兜も出てきました。

13・桶側胴

桶側胴"

桶側胴


 弊工房で主に制作している「桶側胴」は当世具足の一種で、軽い安い頑丈なので戦いの第一線で使用されたものです。
この形式の胴は尾張で作り始められ、後には頭形冑(鉢の形状は通常の越中とか日根野頭形とは若干違います)とのセットで尾張具足とも呼ばれるようになりました。
 例えば尾張藩祖の義直公の具足(徳川美術館蔵)がその例です。

清洲甲冑工房

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